エウメネスの悲劇、サテュラとエウリュディケ

辛い別れが待っています。

生みの親と育ての親を殺され奴隷に落とされ住み慣れた街を追放されたエウメネスが辿り着いたゴアの村。
住民とも馴染み恋をして安住の地になり得る場所でしたが、街を守るために自分一人を悪者にして街を出ることになります。
ゴアの村を守るために八方に喧嘩を売り自分ひとりにヘイトを集めようとするエウメネス。おそらくゴアの村人に恨まれることも構わないと厭わない姿勢です。
ですが、下の村人の表情(手前は敵で後ろが住民)をみればわかるようにひとり泥をかぶったエウメネスの気持ちを汲み取ってくれています。

これでエウメネスが去ってしまうと理解したサテュラの悲痛な表情。

辛い境遇に追い込まれることが多いエウメネスですが、実は人間関係として恵まれているのかもしれません。
去りゆくエウメネス。後ろ姿しか描かれませんがどんな表情をしているのでしょう…。

彼は英雄オデュッセウに憧れていますが、彼に関わった人達からすれば十分すぎる程英雄と見られていることでしょう。
また、4巻の見どころとして、ゴアの町とエウメネスの初陣もあります。
初めての戦だというのにひとつの私設軍に実質ひとりの知恵で勝利してしまう優秀さ。

村人達の表情を注目

サテュラのことは本当に愛していた。だからけして忘れることなどできぬ。しかし、サテュラだけでなく、村自体が自分の命の恩人であり、家族も同然になっていた。それらを明らかに破滅させるような駆け落ちは選べない

次は簡単に背景を説明します(10卷)、古代マケドニアの書記官・エウメネスと有力貴族の娘・エウリュディケは相思相愛であり、あとは結婚の許可をもらうばかりの仲でした。
しかし、エウメネスが「有能過ぎた」ことも要因のひとつとなり、エウリュディケは国の王であるフィリッポスの第7王妃となることに。
聞きつけたエウメネスはエウリュディケの元へ向かいます。
ここから先は、実際の"現場の空気"を追いかけてみましょう。
まずは到着したエウメネスが侍女に取り次ぎ、エウリュディケが出てきます。
出てきたエウリュディケの表情を見てください。

ごくごくわずかに口角が上がり、笑みを浮かべていますが、目は笑っていません。
少しだけ小首をかしげ、後ろに回した手は恋人同士の気安さを思わせますが、どこか「上から目線」というか突き放したような冷淡な印象も携えています。
なにより「青天の霹靂」とも言うべき事象が起こった後の態度としては、不自然なほど落ち着き払っている。
「来たんだ」もなにもないもんです。来るでしょ、そりゃ…。
これは「別れたい男」との折衝・戦いのために、女子としての戦闘態勢をとっている、と見るべきです。
対して、振られる側であるエウメネスはただ一言。

と答えます。
この切り返しからは「当然だろ」というやや強めの感情を読み取ることもできそうなものですが、後姿のエウメネスからは表情で直接読み取ることはできません。
むしろ、引いた二人の絵の「間(あいだ)」にこのセリフが置かれていることから、一種の「間(ま)」を生じさせた一言であり、それはつまり「次ぐ言葉の無い言葉」であった、要するにエウリュディケ側の説明を待つ言葉であったと推測されます。語調は強いものではなかったでしょう。
言葉を待ったエウメネスに対して、エウリュディケはいまだ必要な言葉を発してはくれません。
エウリュディケはおしとやかで大人しい娘というわけではなく、むしろ奔放で、貴族の娘としてはややエキセントリックな女性です。
この慇懃な態度は明らかに「拒絶」を示しており、王との結婚のことに触れもしていません。
エウメネスも彼女の考えの大筋は読めつつも、聞かないわけにはいかないので話の歩を進めます。
また、このシーンは二人の視線が合っていないことにもご注目ください。
エウリュディケとしては、後ろめたさもあり視線を当てないのでしょうが、エウメネスとしてもまだまだ探りを入れている段階なので、相手の目を見つめることをしません。
彼はこの結婚の性急さ、そして政治的な意味での不自然さなどを突きます。

はたして、わからないでしょうか?!!
エウリュディケはちょっとギャルっぽい言動とは裏腹に高い知性があり、少なくとも「政治的な不自然さ」のことを改めて検討できる知的誠実性は有しているはずです。
「わからない」のではなく「わかりたくない」のが本音か、少なくともそのことについてエウメネスと議論する気がないという意志の表明でしょう。
その立ち振る舞いは既に王妃のよう。過去の男を寄せ付けません。
ただ、この謝罪の言葉は誠実な思いから発せられた「真実の言葉」と受け取れます。一連のやりとりの中ではじめて体重を感じたセリフでした。(息が詰まる…)
しびれを切らしたエウメネスは語気を強めながらエウリュディケの意志を確認します。
まさに、ことの本質はここにあります。
「意志」
エウメネスは自らの意志を持って、自らに拠って生きてきた、本質的に"自由"な男です。町の有力者の息子として育てられていた幼少期の頃より、地平線の果てを夢見るような"縛られない"、"捕らわれない"人間でした。
対してエウリュディケは英明ではありましたが、「女の気持ちは関係ない」この時代の貴族として生きてきた女性。
自らの人生を"籠の中の鳥"と捉えていたでしょうし、それは事実その通りです。

この言葉は"まるっきりのウソ"、というわけではないはず。
貴族の娘として生まれたからには、いつかどこかに政略的に嫁ぐことは想定の範囲内なのは当然。それが国王だなんて、これ以上はない最上の嫁ぎ先です。これも意志であり、生まれから覚悟でもある。
が、しかし、この"よそ行きの言葉"からはそれが嬉しいことであることは示してはいません。
エウメネスもすぐにその不自然さに気が付きます。


15歳以上の人は分かると思いますが、流石に心が痛いです…(まあ、初めては恋人のエウメネスだけど)
「まあ、ね…」とでも言いたげなエウリュディケの表情。
でもそれを口に出すわけにはいきませんね。目の前の男とは別れなければならないのですから、つけ入る隙を見せたり、言質を与えるわけにはいきません。
ですが、そんな風にエウメネスが自分を理解してくれていることは、嬉しくはあるのでしょう。鉄面皮を装うつもりだった表情は少しずつ緩んでいきます。
ところで、ここまでのところでも一度も二人は視線が正面から通い合いません。
比較的、エウメネスの方は彼女に目線を送るのですが、エウリュディケは視線を伏せたり遠くをみたり。たまにエウメネスに目線が行くときは、エウメネスの方が視線を外している時か、作った表情を向ける時だけ。
エウメネスはここまでの様子から、通り一遍の言葉じゃ変えられないと判断し、次はハートにひっかけるためのフックを打ちます。(ぶち壊しちゃおうかな、この話)
注目したいのはエウリュディケの目線が"下方"にあるところ。エウメネスの下腹部になにかあるのでしょうか。違いますね。
あえて、エウリュディケはエウメネスから目線を外しているし、正確に言えばずっと外し続けているんです。

この前までのコマもすべて微妙に視線がズレているなどして、まともにエウメネスを見ていません。
それは一方的に別れをつげた女側の後ろめたさと解釈するとして、注目したいのはこのシーンにおいてすら、目線を合わせないということ。
エウリュディケは「!」と大きく反応しているにも関わらず、視線は奪われない。
いくら目線を合わせないように振舞っていても、この場合は相手(の目)を見てしまうものではないですか?不自然、と言い切ってよいでしょう。なぜ彼女はこのような挙動をとるのでしょうか?それは、相手の言うことにいちいち感度よく反応して、相手を調子づかせないため。
取り乱したような振る舞いを見せたくないため、つまるところ、会話の主導権を握られないようにするため。
と、解釈するべきでしょう、エウリュディケ側から見れば、ここはディフェンス・シーン。
「ぶち壊しちゃおうかな」という言葉とともにオフェンスを仕掛けてきているエウメネスに対して、安易に視線を向けないよう(揺さぶりに対する反応を隠すよう)、自分を律している。
そういうシーンなのです、やるなぁ、エウリュディケ。
さらに、ここまで視線が下にいってれば、この暗がりでエウメネスの表情を読み取るのは困難でしょう。
にも関わらず、「!」と大きめの文字サイズで反応している、これは、エウメネスが本気で言っていることを一瞬で理解したと受け取ります。
最低限、"冗談には聞こえなかった"、と解釈するべきでしょう、表情が見えていないにもかかわらずそれがわかったのは「声色」からか。
それとも、恋人たちの「阿吽の呼吸」か、いずれにせよ、顔を見ることなく"本気の空気"を察知したわけです。
「勘の良さ」と考えるべきか「頭の回転の早さ」と考えるべきか「その両方」と考えるべきか。いずれにしてもエウリュディケの有能さ(というか少なくとも「バカではない」ということ)を示すわけです。
やっぱり、やるなぁ、エウリュディケ。
さらに、もう一点、ページ全体を通してみると、「ぶち壊しちゃおうかな この話」というエウメネスのセリフの文字サイズは他より一回り大きいんです。

単純に「大きな声」で言っていると解釈するか、「含まれたものがある」と解釈するか。ポイントは、このコマでは「エウリュディケが遠く、エウメネスは近く」で描かれていること。近くにいるエウメネスの声は大きく聞こえて(見えて)当然。
よって、そこまで「浮かない」んですよ、強調されているけれども強調され過ぎない、さらっとページ全体を見た時に、文字自体はちゃんと大きく見える。
にも関わらず、エウメネスが近いのでその強調具合はいくばくか相殺される。そういう風に視認されます。例えば、あらためて別のコマと並べてみますので、比較してみてください。
上記のフィロータスのセリフのように、遠方に配置されている人物の「大きなサイズの文字」は、それだけ遠くからでも「大きく見える」、つまり単純に「大声だ」と解釈するのが適当なんです。
というより他の解釈の余地を奪うんです。
対して「ぶち壊しちゃおうかな この話」というセリフは、明らかに大きなサイズの文字なんですが、人物配置の効果で、全体の中に調和してきます。
これにより、単純に「大きな声」というだけではなく、「他の含み」をも感じ取る解釈の余地を与えることが出来ます。
(つまり、そこに「恋人同士だけがわかる何か」が含まれてくる)
想像してみて欲しいのですが、このコマ、エウメネスとエウリュディケの立ち位置が逆だったら、どうでしょう。

エウメネスは印象的な言葉で相手の注意を惹いたあとは、脅しと揺さぶりをかけてきます(まるでヤクザ)。
冗談に聞こえない言い方で、花嫁強奪ともとれる宣言をかけるエウメネス。
なるべく冗談に受け取ろうと、笑顔&「コワイ」というカタカナ表記(芸が細かい)の茶化した表現でかわすエウリュディケ。
往生際がいいとは言えませんが、その辺の男と違うのは、"本気"で言っているってことですね。
かわしにかかるエウリュディケを意に介すことなく、エウメネスはさらに詰めてきます。

さらっと言った一言ですが、ここもしつこく絡むことにします。
「ただの書記官」でなければ、なんなのか?
「有能な書記官」ですか? 「王国のNo.2候補の書記官」ですか?
いずれも、違います。「有能な書記官」も「王国のNo.2候補の書記官」も君主の妃にちょっかい出したりしません。
ここは能力や階級に起因する話はしていないということがポイントです、では、「ただの書記官」ではない彼はなんなのか?
それはエウメネスが「エウメネス」であるということ。「自分とはなにか?」の問いに「自分である」と答えることができる「己が看板」の人間ということです。
生き方のルールが「自分」にある人たちは、「役職」だとか「肩書き」だとか「所属」だとかを自分と勘違いしている人たちとは尺度が異なるんです。
「己」とは「己」
これは、エウメネスの持って生まれた素養も大いに影響があると思いますが、彼の生い立ちも影響しています。
「街の有力者の息子」→「蛮人の奴隷」→「自立した村民」→「強国の書記官」。
波乱万丈の人生を送ってきたエウメネスにとって、なにかにどっぷりと所属して自分にレッテルを貼ってるヒマなどありませんでした。
そんな彼の自己認識が"地中海世界最強国家のエリート公務員"という身分や肩書なんかに侵されるはずなどなかったのです。流転する運命の中を、ただ一人、「エウメネス」として生きてきたのですから。
そういう生き方をしている人間が「本当にやるさ」と言うということは、本当にやるんですよ。平然と言ってますが、自身を拾った雇い主で、地中海世界の覇者・マケドニアのフィリッポスにたいして公然と弓をひく行為であり、大変なことです。
仕事がなくなるどころか命も危うい。でも、「やる」といった。
では、それを受けてのエウリュディケの様子を見てみましょう。

「やっぱり、ちゃんと言わなきゃダメか…。」ってところでしょうか。
味わい深い表情です。
まずは、嬉しかった、んだと思います、そうまでして自分を愛してくれたことが、必要だと思ってくれたことが。
ことここにいたって、エウリュディケはエウメネスに向き合うことにしました。観念し、本音をさらします。これはエウメネスが踏み込んできたからであり、当初は表面的な対応で追い返す予定だったはず。
ここからが、別れ話の真骨頂ですね。
真向からお互いの価値観がぶつかり合うことになります。
エウリュディケは極力、突っ込んだ話はしたくなかったはず。
エウメネスをより強く否定せざるをえないからです。
しかし、縁談をぶち壊すとうそぶくエウメネス(たぶん本気)に、正面から対応をはじめました。
"自由"とは柵に囲まれた「庭」だ、とエウリュディケ。
彼女はエウメネスの心に吹いていた"自由"の風を知っていた、しかし、その風に乗って「庭」の外まではいけないと考えていました。
ここで、初めて、エウリュディケはまっすぐエウメネスを見据えます。

当初から、冷静を装い、来なくてもよかったような態度をとる、王との縁談の話も自分からは切り出さず、慇懃な態度で他人扱いする。「縁談ぶち壊し」の揺さぶりは、冗談に聞こえたことにする。
そして。
終始、目線は合わせない。が、今、エウリュディケは強く、大きく、敢然と、エウメネスを見つめて、彼が心の中で思い描いてきた"自由"を否定します。これがまた、ご覧のとおり、ショッキングなほどに強い目線なんですわ。
まったく茶化す余地なし。マンガの演出的に言えば、「このシーンのために」、今までエウリュディケは目を合わせてこなかったと言ってもいい。
エウメネスの気持ちになって読むと、、、辛いなぁ。
男として、力不足と言われているようなものですから。
「私を柵の外に連れ出す力はない」
一呼吸の間を置いてエウメネスは「柵か……」とつぶやきました。
そしてつとめて普通っぽく、「地平線の先にある柵を探す旅」を提案。まるでちょっとした小旅行かのように。
これは、エウリュディケの強い意志をいったん逸らすための物言いでしょう。
それは旅ではなく逃避行、エウメネスはわかって言ってます、エウリュディケもわかって聞いています。

彼女は、その旅を「ヘロドトス」のトロイア戦争になぞらえました。愚かなパリスがヘレネーをさらって逃げるお話です。
その瞬間、エウメネスの脳裏には「パフラゴニアのサテュラ」が浮かびます。

ふいに浮かべた笑顔は、昔の恋人が「まったく同じ例え話」をしたから、か、そうして、思い返すかのように「おれは……愚かだよ」とつぶやくエウメネス。
いったいなにが「愚か」なのか。
あの時、「つれてって」と言ったサテュラを連れて逃げなかったから愚かなのか。


それとも、エウリュディケと2人だけの幸せをつかもうと、マケドニアでの生活や地位のすべてを投げうとうとするから愚かなのか。
過去の誤った選択をした自分に言っているのか。現在の賢くない選択をしようとする自分に言っているのか、それは判然とはしません。
おそらく両方でしょう。
しかし、彼の出した結論は過去の自分とは正反対のものでした。

女性一人のために全面戦争になるわけではありませんが、個人としてはこれ以上ないくらい王のメンツに傷をつけるわけで。
まさしく、逃避行になりますよね。
「とりあえず言ってみた」ような生半可な覚悟の「必ず幸せにします!」「お嬢さんをください!」よりもはるかに重い言葉です。
そして、エウメネスならば果たせるのではないか、そんな覚悟を感じさせます。
こんなエウメネスのプロポーズを断る女性なんているの?紀元前三世紀の頃は一人に居た

しかし、この真逆の結論はいかなる心境の変化か。
時は経ていますが、エウメネスの価値観を劇的に変えるような変化は、ここまでの連載において描かれてはいないように思います、エウメネスはエウメネスとして、エウメネスらしく生きてきました。
では、なぜ変わったのか。
仮説を立てたいと思います、前回のサテュラの際は、エウメネスがこれまで身を寄せた「ボアの村」の存亡がかかっていました。そのことは判断に大きく影響したでしょう。
マケドニアについては、エウメネスはどこか「雇われ人」程度の意識であることは節々で表現されています。加えて、先ほどの「おれは……愚かだよ」の発言が示すように、端的に言えば、「後悔」があります。
「ボアの村」のためにサテュラから身をひいたことが、ずっと心に残っていた。

(王宮日誌・エウメネス私書録)
と書かれるところからも、想像がつきます。
運命を取り戻したい。もう後悔はしたくない。
そんな思いが過去とは真逆の選択をさせているのではないでしょうか。
その判断を支えるものとして、マケドニアでの彼自身の成長と実績がある。
そんな風に読むことができます。
様子見のジャブ、心にひっかけるフック、そして最後はストレート。

(感情の崩壊寸前...)
それにしてもエウメネスはさすがです。
押すところと引くところを間違わない、結果的に放たれたプロポーズのごとき言葉に、エウリュディケの表情が歪みます。
はじめのように冷静を装うことはできていない、先ほどまでのように笑って茶化すこともできていない。
その"機"を逃さず、ボディタッチ!&ストレートな言葉。

いやー、完璧に落ちる(愛が故に)
エウリュディケの表情から、ここが押し時とみたのか、エウメネスは、さらに畳みかけに入ります。

エウメネスには珍しく「額に汗」までかいて押し切ろうとします、が、迷いに迷い、苦しむ表情を見せながらも、エウリュディケ、なんとかしのぎました。
ここからは「間」と「変化」が重要です

誠実であるが故の「自分のため」

正直!あと!「ちょっと」だったはずです!
だがその一押しが、遠かった…
誠実」を貫き通した先に「自分のため」という言葉が絞り出されるシーンです。
エウメネスの場合も、そうです。
押しつけがましく「お前のために言ってるんだ」なんて言いません。
すべてを投げうってでも、「エウリュディケと共にいたい自分のため」に言ってるんです。
再度、二人の表情を注目!

エウメネスのどこか「降参」とでも言いたげな笑顔が寂しくも印象的であり、それを受けてのエウリュディケの笑顔も素晴らしい。
嬉しかったんです。
どこまでも誠実に相対し、その上で自分を求めてくれて。
これにて、エウリュディケとしては、エウメネスのすべての真心を受け取ることができた。
そして、満足した。
歴史腐乱の車輪が動く、二人の「別れとプロポーズ」の一幕は一気に終息に向かいます。

別れに際して心を通わせ合った二人。エウメネスはそこからさらに言葉を重ねようとしますが、その口はエウリュディケの唇によって塞がれました。
なんて贅沢な余韻、エウリュディケの万感の想いの乗った唇は、まるでそれがエウリュディケの存在そのもののように、ゆっくりと離れていきました。

エウリュディケは明るい表情で別れを告げます。
「じゃね」
軽やかな足取りで、部屋の奥に溶けてゆく影。
置いてけぼりにされたエウメネスの表情は、まるで銀河鉄道に取り残されたジョバンニのよう。
ここで彼は、エウメネスらしからぬ、まるで子どものように無防備な表情をさらしています。

はじめのシーンはまだ緊張が残っているのか、「両拳」は握られたまま。
しかし時間経過後は自然と手がひらいているようです。力が抜けてきているのでしょうか、心の虚脱ととれます。
足の向きはほぼ変わっていないのが対照的。

エウリュディケが消えて、随分と時間が経ちました、この間、エウメネスは何を考えていたでしょうか?
復縁の可能性に思いを巡らせていた?思い出に浸るだけ?唇の感触を思い出していた?それとも放心していただけでしょうか、あるいはその全てでしょうか。
いずれにせよ、彼女が再び姿を表してくれることは、ない。ようやくエウメネスはたった一つの事実を認めます。
現実的な合理主義者であるエウメネスにして、この明快な結論を受け入れるのにこれほどの時間が必要だったとは…。
 ショックの大きさを想像するばかりです。
そして、知性の塊・エウメネスらしからぬ「気の抜けた表情」を見せ、ゆっくりとその場を立ち去ります。(クソ!何度目でしょうか、この「らしくない」無防備な顔を見せるのは)
読者の私も…もう耐えられない…泣いてしまった…今でも…
流れ出る涙。服にこぼれた涙。
別れの際、努めて明るく軽やかに姿を消したのは、精一杯の強がりでした。
エウリュディケもまた廊下の影に隠れて流れ落ちる涙を拭こうともしていなかったのです。
たとえエウメネスに姿を見せずとも、自分が振った男を最後まで見送る部分に誠実な想いを感じざるを得ません。
いくら喧噪が少ないであろう古代(紀元前三世紀)の夜中とはいえ、虫の音と風の音、数多あるはず。
相当神経を集中させておかないと、これだけ距離のあるエウメネスのセリフを耳に捉えることは困難です。
この事例ひとつとっても、エウリュディケのエウメネスへの想いが、彼に負けぬほど強かったこと、またポテンシャル的にも只者ではないことが想像できます。
エウメネスがこんなにも惚れ込むだけのことはあるんですよ!
これ、岩明先生が描くから「確実に意図があって描いている→エウリュディケの能力と意志」という風に解釈できるんですが、ダメな作家が描いたものだったら「ちょっと距離あり過ぎじゃない?こんなに離れてても聞こえたのかな?」と思ってしまいそう。
これがブランドであり、これが信用です。細部の細部までこだわり抜くことは、決して無駄ではありません。


作品は現時点で、後にエウメネスの妻になる人はまだ出ていないけど(ペルシアのとある総督の娘、資料は少なすぎる)、エウメネスの後半生の悲劇もこれからです…

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